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PRODUCTSやりんごの歴史など様々なコンテンツの発信をします。
弘前藩歴代正室合同法要に参加しました
青森りんご歴史伝承家 木浪真由美です。 弘前市禅林街長勝寺で行われた弘前藩歴代正室合同法要に参加させて頂きました。 12代藩主承昭公が創設した(財)津軽厚志会の主催です。長勝寺、革秀寺、長徳寺、報恩寺、福寿院、正光寺こちらの6寺院のご住職が唱えるお経が響き、それは厳かを通り越し江戸時代にいるような不思議な気持ちになりました。 津軽承公さんのご紹介で、先日記事を書いた長尾牛乳の長尾さんにもお会いし、報恩寺のご住職とも会えてびっくり。 4月開催予定の満天姫歴史ツアーではこちらの長勝寺さん報恩寺さんにも寄らせてもらいます。...
津軽信明座像と報恩寺でのお話し会について
青森りんご歴史伝承家 木浪真由美です。 私の中では国宝。 報恩寺所蔵 弘前藩8代藩主津軽信明座像 先日、初めてこちらの古刹に伺った際まず見せて頂いたご威光の写真です。 津軽信明(のぶはる・のぶあきら)は1873年(天明4)7代藩主信寧(のぶやす)が急死した為、23歳の時、江戸屋敷にて藩主を継承しました。 その頃、津軽地方は天明の大飢饉の最中で国入りしたいと願う信明を皆が止めたが振り払い自分が今、領民の為に働きたいと願いました。 新藩主の初国入りは盛大に飾るのが習いですが、最低限の人数で良しとし質素に国入りを果たします。...
澁川傅次郎と青森県りんご協会の発足
青森りんご歴史伝承家 木浪真由美です。 今朝のニュースで室蘭日鉄工場火災だと速報。 12月1日午前1時ころ近隣住民から消防に通報があり構内の熱風炉で爆発、火が飛び散っているという事で、鎮火のめどはたっていないようです。 少しでも早く収束する事を願っています。 昭和20年7月15日、終戦間近の室蘭空襲の時、澁川傅次郎は、この工場にいました。 日本陸軍に従事し室蘭に配属、通信機が壊れた事で自ら砲撃の中に飛び出し伝令に走らなければ部隊が危ういという状況で死を覚悟した時の心境ををのちに書き記しています。 彼はこの時、47歳でした。...
りんごの歴史
木浪真由美 的「青森りんご物語」①
はじめに りんご―それは「生きた歴史遺産」
明治維新で仕事を無くした藩士たちの、失業対策で始まった、青森県のりんご栽培。
生産量日本一のりんご産地に、こんな歴史がある事は、意外に知られていないのではないでしょうか?
今年二〇二五年は、青森県にりんごがやって来て一五〇周年にあたります。
一八七五年春、青森県庁に三本のりんごの苗木が届き、ある一人の元弘前藩士が、その苗木を敷地内に植えました。その人こそ、りんご栽培のパイオニアとして七二歳までの人生を、りんごをはじめとする農産物一筋に生きていく菊池楯衛(きくちたてえ)です。この物語は、この菊池から始まる青森県りんご栽培の壮大な遺産です。
こんな歴史があったなんて知っていたら、りんごを買う時、もっと真剣勝負だったかもしれない。そう思っていただけたら嬉しいです。そして、この本を読み終えた頃には、りんごを食べずには、いられなくなるでしょう。あなたにとって「単なる果物」だったりんごが、「生きた歴史遺産」であることに、気づいてしまったからです。
菊池楯衛を筆頭に始まるりんご栽培の歴史ですが、彼一人が英雄なわけではありません。これからお話をしていく、青森をりんご王国にした立役者たちを、ご紹介しましょう。
弘前藩一二代藩主である津軽承昭(つぐあきら)、青森みちのく銀行、株式会社カクヒロなどをつくった弘前藩家老大道寺繁禎(しげよし)、そしてもう一人の家老であり、石田三成の子孫である杉山成知(なりとも)、りんご栽培というスタートアップが実現できたのは、代表してこの四人の存在が大きいと思っています。
そして日本人として、最も早くりんごを作って食べていた、と言われる松平春嶽、七飯に巨大な果樹園をつくったドイツ人ガルトネル、菊池楯衛に接木法を伝授したアメリカ人技師ルイス・ベーマー。彼らの存在無くして、日本にりんごは根付かなかったかもしれません。
後に青山学院院長となる本多庸一が、横浜から弘前へ連れて帰ったジョン・イングは、当時、東北で唯一、外国人宣教師を雇用していた東奥義塾で教鞭をとり、生徒たちにりんごを食べさせました。その東奥義塾や東奥日報を創設した菊池九郎。そして弟の菊池三郎は、つがる市柏に現存する、日本最古のりんごの木を譲った人だと言われています。
大道寺と一緒に酪農会社を運営した、笹森儀助(ささもりぎすけ)は、のちに国防を憂いて日本中を探検、『南嶋探検』『千島探検』などの著書を残しました。この本は現場を見て書いた国防書として、柳田國男にも影響を与え、更に、明治天皇も読んだと言われています。
この笹森に、人格形成において、大きな影響を受けた外崎嘉七(とのさきかしち)は、東北各地へ指導に出向き、りんごの神様と呼ばれる指導者になっていきます。
その外崎が盟友としたのは、のちに北海道大学学長となっていく島義鄰(しま よしちか)と、晩年、大連に渡り大陸に津軽式りんご栽培を伝授する楠美冬次郎(くすみとうじろう)(*)、そして農家の地位向上に尽力し、組合という概念を実践した豪農相馬貞一(そうまていいち)、この流れは続編で紹介する木村甚彌(きむらじんや)へと繋がっていきます。
(*)楠美冬次郎の読み方に関しましては『青森県人名大辞典』を引用し「くすみとうじろう」としました。
りんごは冷害に強く、高値で取引されるため、多くの資産家が投資対象としました。
黒石の貴族院議員で、名勝金平成園施主の加藤宇兵衛(かとううへい)、りんご協会を創った、澁川傅次郎(しぶかわでんじろう)の祖父・澁川伝蔵(しぶかわでんぞう)、本多庸一に導かれ、藤崎教会をつくった佐藤勝三郎、りんご農家の副業として、馬鈴薯作りを推奨した藤本徹郎らについても特筆しました。
このように、今回の津軽地方前編の登場人物を、列挙してみましたが、この本では彼らが織りなす歴史を、できるだけ時系列で書いてみました。マニアックな地名が出て来ますが、できるだけインターネットで検索しながら、読んで頂くと印象に残りやすいかと思います。
また、現地にて「とことん!りんごの歴史ツアー」を開催中です(令和七年現在)。
是非、ご参加ください。https://matatabi-club.com/tour/3040.html
続編は明治後期から昭和五〇年代の、ふじりんごが台頭してくる頃までを書き上げる予定です。更に、青森県南部地方のりんご栽培の歴史も、とても興味深いので只今調査中です。いずれしっかりと書き上げたいと思いますので、もう少しお待ちください。
私の手元には『りんご百年史』という本があります。厚さ七センチメートルの大きな本です。これは今から五〇年前、青森りんご百年記念事業会が発刊したもので、とても貴重な本です。普通の図書館では、館外持ち出しできないので、借りて来ることができません。
毎朝三時起床の私は、朝方調べものに集中したい一心で、インターネットでこれを見つけて買いました。書き込みしたりインデックスを張り付けたり、一日に何度も開くのできっとそのうちボロボロになるでしょう。この世を去る時はくたくたにして、頭に詰め込んでいこうと思っています。
りんご栽培に関する細かい情報はこの本から確認をとっていますし、読み物としても飽きる事がありません。永遠に読んでいられる一冊です。この本に書いてあることをわかりやすく伝える役目が自分だと考えております。
歴史とは、過去に生きた先人たちが、繰り返してきた選択の結果です。何を選び何を捨てて来たのか、どうしてそう決めたのか、何を願っていたのか。これら一つ一つの歴史は私たちの体の一部となっているのです。ですから、歴史には共感できる場面、自分事と感じる場面があるのかもしれません。この本の中にもそんな奇跡が入っていたら嬉しいです。
あっぷるぱい(牌)
りんごの歴史を伝承していく為の各種ツール・サービスを開発しています。
遊び方解説書(日本語)はこちらから印刷できます
遊び方解説書(英語)はこちらから印刷できます
書籍
イベント
イベントによりりんごの歴史がより身近なるようご案内させていただきます。
購入
あっぷるぱい(牌)販売店
- 青森市 成田本店
- 弘前市 りんご公園
- ヒロロ2階 TSUTAYA
- 平川市観光協会(さるか荘隣)
- 青森まごころふるさと便(web)
紙本販売店
- 青森市 成田本店
- 弘前市 まわりみち文庫
- 弘前市 りんご公園
- ヒロロ2階 TSUTAYA
- 黒石市 松の湯交流館
- 平川市 田本商店







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