はんていさん

「はんていさん」

今回の取材のキーワード

これは、繁禎(しげよし)の音読み

大道寺家菩提寺宗徳寺のご住職も

大道寺繫禎の曾孫さんも、

繁禎が愛した庭園の元オーナーさんも、 

皆さん、親しみを込めて

「はんていさん」と言ってました。

大道寺繁禎(はんていさん)は、

1862年(文久2)25歳で弘前藩家老に就任

弘前藩の大きな節目に

どう考えても無くてはならない人でした。

大道寺家の家老屋敷は、

弘前中央高校のグラウンドの辺り、

現在弘前市文化センター駐車場の辺りにあった

武家津軽図書(ずしょ)の長女を妻に迎え、

迫りくる明治維新を乗り切るのです。

決断しなければいけない第一の難問、

弘前藩は旧幕府側に付くのか新政府側に付くのかです。

最初から一貫して新政府側に付くよう進言していた

大道寺繁禎でしたが、弘前藩は当初

東北各藩が集結した奥羽越列藩同盟に加入し

旧幕府側に付く事で合意していました。

しかし、京都の近衛家からの手紙を受け取った

藩主承昭(つぐあきら)は新政府側有利と決断!

ぎりぎりのところで弘前藩は奥羽越列藩同盟を裏切り

新政府側指示に方向転換。

東北中を敵に回して生き残りました。

大道寺の読みは正しかったのです。

維新後は、藩主津軽承昭を補佐し

頻繁に東京・京都に出向くため

多忙なはんていさんは留守が多く、

大道寺家の家計が火の車になっている事に

気付いた時には、

財産のほとんどを失っていました。

私財を投げ打って藩士達の面倒を見ていたからです。

羽織一つ作れずに古着屋の前で買うのを諦めた姿が

目撃されていて、その頃はもう

品川町の元使用人の家に間借りして暮らしていたそうです。

大道寺家が愛した別邸の庭は、

現在中央病院の財団清明会が管理している

元「一閑人」というお蕎麦屋さんがあった所。

この大きなお庭の池の形が上から見ると

「心」という漢字になっていて、

富田の清水(しつこ)から引かれた水が

この池を通り、れんが倉庫美術館の敷地から

土淵川に流れています。

この庭を手放す時、どれほど無念だっただろう。

調べれば調べるほど、本当に「心」を込めて

弘前市の近代化に尽くした人だなと思い、

取材を続けています。

大道寺繁禎歴史ツアー

9月25日(金)は満席となりました。

27日(日)はまだお席がございます。

ぜひ、ご参加ください!そして、

ほとんど語られた事がない

はんていさんの生き方を聞いてください。

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