瑞楽園對馬家の歴史

東奥日報に、戦時中弘前市舩沢にある

名勝瑞楽園の對馬家を頼り

青山学院初等学校の生徒たちが

疎開したという記事がありました。

壮大な大石武学流庭園を座観するそのお座敷に

戦火を逃れて津軽まで来た子供達はさぞ安堵した事でしょう。

720年前の蒙古襲来で朝鮮半島と九州の間にある

対馬島が襲われた時、

津軽を支配していた安東氏は、

この対馬宋家の家臣を救出し、

ここ津軽まで避難させています。

対馬宋家の城主は家臣を逃がし、

落ち着いた先で暮らしが安定したら

「対馬」と名乗るようにと遺言しました。

その末裔が瑞楽園の對馬家です。

この對馬家は篤農家として伝わり、

舩沢村の子供達を集め行儀見習いをさせたり、

他村から嫁いできた娘たちに料理を教えたり、

人々が暮らしやすいよう施していたと言います。

その近所で育った對馬竹五郎は、

この瑞楽園対馬本家に憧れ、

スターキング栽培で成した財で自邸に

大石武学流庭園を造りました。

http://zuirakuen.com/

この庭園造りには10年近くの年月と人員を必要とし、

小作人の冬場の雇用対策に当てられていた事も

對馬竹五郎が對馬家本家に憧れた理由でした。

https://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyou/bunkazai/kuni/2021-0317-0857-141.html

この舩沢地区に現存する2つの大きな庭園は

現在、国指定名勝として認定されています。

青山学院の子供達の疎開を受け入れた對馬家の人々は

戦火から逃れる辛さを共感できた歴史を持つ

存在だったのではと思います。

「りんごのお花見歴史ツアー」では、

こちらの瑞楽園も訪れます。(對馬邸は非公開)

津軽地方だけに伝わる大石武学流庭園

スターキングで成功した對馬竹五郎に憧れた

津軽のりんご農家はこの庭を真似て

自宅に似たような庭を造ったりしました。

私の祖父もその一人です。

バスの中ではこのお話もたっぷり聞いてい頂きます。

「りんごのお花見歴史ツアー」

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先行して開催される

オンラインりんご歴史講座お申込みはこちら、

https://peatix.com/event/4877854/view

ピーティックス申込みが苦手な方は

DM下さい。

因みに安東氏が対馬島から助けた家臣は

もう一家族いて、金木町の津島家になります。

あの太宰治の生家です。