東奥日報に、戦時中弘前市舩沢にある
名勝瑞楽園の對馬家を頼り
青山学院初等学校の生徒たちが
疎開したという記事がありました。

壮大な大石武学流庭園を座観するそのお座敷に
戦火を逃れて津軽まで来た子供達はさぞ安堵した事でしょう。

720年前の蒙古襲来で朝鮮半島と九州の間にある
対馬島が襲われた時、
津軽を支配していた安東氏は、
この対馬宋家の家臣を救出し、
ここ津軽まで避難させています。
対馬宋家の城主は家臣を逃がし、
落ち着いた先で暮らしが安定したら
「対馬」と名乗るようにと遺言しました。
その末裔が瑞楽園の對馬家です。
この對馬家は篤農家として伝わり、
舩沢村の子供達を集め行儀見習いをさせたり、
他村から嫁いできた娘たちに料理を教えたり、
人々が暮らしやすいよう施していたと言います。
その近所で育った對馬竹五郎は、
この瑞楽園対馬本家に憧れ、
スターキング栽培で成した財で自邸に
大石武学流庭園を造りました。
http://zuirakuen.com/
この庭園造りには10年近くの年月と人員を必要とし、
小作人の冬場の雇用対策に当てられていた事も
對馬竹五郎が對馬家本家に憧れた理由でした。
この舩沢地区に現存する2つの大きな庭園は
現在、国指定名勝として認定されています。
青山学院の子供達の疎開を受け入れた對馬家の人々は
戦火から逃れる辛さを共感できた歴史を持つ
存在だったのではと思います。

「りんごのお花見歴史ツアー」では、
こちらの瑞楽園も訪れます。(對馬邸は非公開)
津軽地方だけに伝わる大石武学流庭園
スターキングで成功した對馬竹五郎に憧れた
津軽のりんご農家はこの庭を真似て
自宅に似たような庭を造ったりしました。

私の祖父もその一人です。
バスの中ではこのお話もたっぷり聞いてい頂きます。

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DM下さい。

因みに安東氏が対馬島から助けた家臣は
もう一家族いて、金木町の津島家になります。
あの太宰治の生家です。





