りんご発祥の地カザフスタンからの観光客

青森りんご歴史伝承家 木浪真由美です。

先日、取材で伺った最勝院で

観光客に手水舎の使い方を質問され、

一通り説明してどこから来たのか尋ねたら、

りんごの発祥地カザフスタンからとの事。

しかもアルトマイ市在住!

アルトマイの意味は「りんごの里」

とてもご縁を感じる一日でした。

2026年4月25日付けりんごニュース

「先人の言葉」コーナーに

記事を書かせて頂きました。

青森県りんご協会会員の皆さま

是非、紙面でお読みください。

現在、岩木山青少年スポーツセンターのあるあたりに

明治維新で仕事を失くした藩士達の雇用先として、

農牧社という酪農会社が設立された。

そこに外崎嘉七が妻みよ子と共に

住み込みで働き始めたのが

1882年(明治15)24歳の時。

副社長の笹森は外崎の度量と商才を見抜き

翌年、鰺ヶ沢の牛乳販売店を任せた。

当時の鰺ヶ沢は鰊の豊漁が続き

日本中から仕事を求めて人が集まり

活気があったそうで、

警察官も多く留置所もあったらしい。

ここで外崎は当時まだ飲みなれない牛乳を

サンプルだとして無料で配り、

その味に慣れてもらう事から始め

しだいに顧客にしていく作戦。

見事これがあたり、体を資本とする

警察官たちの需要を作り上げた。

外崎の気転をすっかり気に入った笹森は、

1886年(明治19)東京支店勤務を外崎に命じる。

まだ、東北本線開通前で、

県内の企業で東京支店を持つこと自体稀な時代、

外崎は牝牛6頭引き連れて歩いて上京し、

芝公園の近くに借りた店舗で牛乳を売り始めた。

外崎は津軽弁のはずだが堂々と売り歩き、

またそれが魅力で話も面白いので気が付けば、

牛乳販売店組合の組合長までになっていたという。

残念ながらその後この農牧舎は倒産したが、

入社時からの給料天引き積み立てがあったお陰で、

りんご畑と苗木を買いそろえ、

外崎はりんご栽培の道に入っていく。

晩年外崎はこの頃の事を振り返り、

「どんどん経済発展していく

東京と地元弘前の貧困格差を

りんご栽培で何とかしたいと思った」と

對馬竹五郎に語ったそうだ。

伊東峻一郎著『近世日本興業偉人外崎嘉七』

(株)日本出版社 1943年(昭和18)発行より引用

元北海道大学学長 島善鄰 寄贈 (これがどれだけ貴重な事か!)

#島善鄰

#外崎嘉七 #笹森儀助 #農牧舎

#對馬竹五郎 #カザフスタン #アルマトイ

#クルーズ船 #最勝院 #真言宗