『豊臣兄弟』
谷原章介さん演じる北条氏政
出番は小田原城攻めなのでまだですね。

弘前藩家老大道寺家初代
大道寺隼人直英の継父・大道寺政繁は、
この北条氏政に仕えた名将でした。
北条が豊臣に敗れた後、大道寺政繁は切腹
政繁の遺族は徳川家康の息子
尾張義直に身を寄せます。
大道寺隼人直英と津軽信枚はのちに出会い
信枚は大道寺を弘前に引き抜く策を練ります。
大道寺が土木工事のスペシャリストだったからです。
結果、尾張義直の許しを得て、
1616年3月、大道寺は弘前に到着。
6月14日には五百石の知行を与えられ、
まず奉行職を命ぜられました。
大道寺は北津軽の新田開発の為、
時間をかけて測量し開拓の基本を固めます。

弘前藩3代藩主信義の家老になり、
千石に加増となりました。
当時大道寺家家老屋敷は、
下乗橋向かいにあったといいます。
満天姫の息子直秀を
娘婿に迎えたのもこの頃でした。
1642年(寛永19)8月22日
91歳で亡くなり、弘前市新寺町
貞昌寺に墓石があります。
(隼人直英以降の菩提寺は宗徳寺)
大道寺の新田開発から400年後の今、
青森県米生産量1位と2位は
つがる市と五所川原市です。
萢を灌漑し、小氷期を乗り越え、
飢饉を生き延びた末裔が私たちです。

大河ドラマ『豊臣兄弟』に
もし万が一大道寺政繫が出てきたら、
この話を思い出してください。
大道寺家は幕末まで続き、
明治時代の混乱期津軽の繁栄に
全てを捧げました。

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