青森りんご歴史伝承家 木浪真由美です。
私の中では国宝。
報恩寺所蔵 弘前藩8代藩主津軽信明座像
先日、初めてこちらの古刹に伺った際
まず見せて頂いたご威光の写真です。
津軽信明(のぶはる・のぶあきら)は
1873年(天明4)7代藩主信寧(のぶやす)が急死した為、
23歳の時、江戸屋敷にて藩主を継承しました。
その頃、津軽地方は天明の大飢饉の最中で
国入りしたいと願う信明を皆が止めたが振り払い
自分が今、領民の為に働きたいと願いました。
新藩主の初国入りは盛大に飾るのが習いですが、
最低限の人数で良しとし質素に国入りを果たします。
「今後は自分が困難に直接対応するから
一緒に乗り超えていこう!
飢饉を何とか生き延びたみんなの姿が見たいので、
百姓・町人に関わらず、碇ヶ関から弘前までの街道に
出てきてほしい」(『平山日記』)
参考資料 https://mutsushimpo.com/a_landscapes/yg3vxzmv/
弘前市文化財課:小石川透
前もって、このようなお触れを出していたので
領民は感動し、新しい藩主を街道で出迎えたと言います。
碇ヶ関弘前間の国道7号線から羽州街道沿いに
領民が信明を迎えた様子を想像してみると、
どれだけ勇気づけられた事かと熱くなります。
そもそも江戸時代は、この地球自体が小氷期にあり
今より年間平均気温が3度以上低かったそうです。
年貢を米で作らされていた政策は東北地方にとって
最北の弘前藩にとって、最も過酷な時代でした。
(松前藩の年貢は米が免除されていました)
弘前藩史には、夏でも雪が降ったと記録された年が数回あり
温暖を好む稲作は到底、無理があったのです。
信明は国入り早々対策に明け暮れ、改革を進めます。
藩士を農民に帰農させる藩士土着制を実施
自ら倹約し、妻を愛し、領民を愛したと言われます。
しかし、30歳の若さで病死。
あまりに早い名君の死に相次いで年代記や言行録が編纂され
死を悼む多くの人がその功績を後世に伝えようとしました。
と、弘前市文化財課小石川さんが記しています。
参考資料 https://mutsushimpo.com/a_landscapes/yg3vxzmv/
弘前市文化財課:小石川透
1月11日(日)報恩寺にてお話し会開催
もっと語り継ぎたい方達の事をお聞きください。
満天姫も辰姫も信明もきっと喜んでくれると思います。
信明座像もご覧いただけます。
弘前藩は江戸時代の飢饉に苦しんだので、明治に入り
りんご栽培に憧れを抱く事に繋がっていきます。
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もしくはDMで













