青森りんご歴史伝承家 木浪真由美です。
広瀬寿秀著(広瀬矯正歯科クリニック院長)
『新編 明治二年弘前絵図―人物と景色を探して』
2013年(有)北方新社
明治二年につくられた弘前藩士屋敷地図と、
町名ごとに特筆すべき人物の解説がされている本です。
この「はしがき」で広瀬さんがおっしゃっているのは、
「最近では江戸時代の古地図を用いて、
町歩きを楽しむのが流行っている。
弘前の町は空襲にも遭わず、
また大規模な都市計画もなかったため
道幅は自動車が通れるように広くなったほかは、
大きな変化はない。
また江戸時代のほとんどの町名が残っている。
特に、弘前城は天守閣と城郭全体が
江戸時代のまま残っている点が貴重である。」
と述べています。
明治二年といえば、菊池楯衛が結婚した年。
この時、弘前藩の武家の数は約2000件。
登録されている武士の数は約3000人。
ほんの160年前の事です。
その6年後に、西洋りんごの苗木が県庁に届き、
菊池はその手で植栽しました。
代官町の菊池の敷地は東北地方有数の苗木屋として
その敷地を拡大していきます。
一番弟子の楠美冬次郎は中津軽郡富田に土地を買い
りんご栽培を広げていきますが、ここは今の
れんが倉庫美術館。
明治二年の段階ではまだ住所は中津軽郡で
弘前市内ではありませんでした。
明日のりんご歴史講座では、
この地図を見ながら解説をしていきます。
菊池楯衛の生涯を縦軸に
町の景色を横軸にして当時の人々の
りんごに懸ける思いとは何だったのか
想像してみたいと思います。
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因みに地震の被害はありません
平川市は震度4でした。











