ブログ
PRODUCTSやりんごの歴史など様々なコンテンツの発信をします。
2024年 津軽平野のりんご収穫期
私の好きな句、 「林檎熟れ 津軽平野が 重くなる」 湖愛さんの作品です。 正に津軽の晩秋はこのイメージ春には花だったものが秋には実となり今年もこの時を迎えました。 県の生産量は40万トンを切ったとはいえ大きく台風の影響もなかった事にほっとしています。 まだ、収穫の終わっていないりんご農家さんもいらっしゃるようですが、皆さん、お疲れ様です。 本日11月27日はふじりんごの育成技術を確立した斎藤昌美さんの御命日...
酔月楼なかにて|満天姫お話し会開催報告
昨日は、酔月楼なかさんで満天姫のお話し会 1786年創業のなかさん、アメリカ合衆国と3歳違い日本では田沼意次が失脚した年。UKでは産業革命が進んでいる頃から この老舗に脈々と伝わる料理法、塩も砂糖も醤油もそのままでは使わず。どれもアクを抜いてから使うのだとか。 塩であれば水に溶かし時間をかけて火にかけ浮かぶアクを取り続け10%の濃度で保存いわゆる「塩水」の状態で料理に使う事で素材に馴染みやすく塩のさわりが優しくなるのだそうです。 また、仕上げた料理が日持ちもするそうで、冷蔵庫がなかった時代の先人たちの知恵だと聞きました。...
来春ツアーに向けて薬王院を訪問
猿賀の蓮乗院で満天姫のお話し会をした時薬王院の方々が参加してくれました。 後日、お礼と来春のツアー取材を兼ねて歴史ある寺院へ行ってみると、先代住職の奥様と一緒に待っていてくれたのが、日本画家・ねぷた絵師の八島龍仙さん。 龍仙さんはこの薬王院の総代なのだそうで、「蓮乗院で藤本さんとあなたの話を聞いた。とても素晴らしい活動をしている。」と、言っていただき、4月12日のツアーもご協力頂ける事になりました。 天台宗薬王院とは。 1617年、徳川家康が亡くなり久能東照宮に祀られ翌年、弘前城内に弘前東照宮が創られました。...
りんごの歴史
木浪真由美 的「青森りんご物語」①
はじめに りんご―それは「生きた歴史遺産」
明治維新で仕事を無くした藩士たちの、失業対策で始まった、青森県のりんご栽培。
生産量日本一のりんご産地に、こんな歴史がある事は、意外に知られていないのではないでしょうか?
今年二〇二五年は、青森県にりんごがやって来て一五〇周年にあたります。
一八七五年春、青森県庁に三本のりんごの苗木が届き、ある一人の元弘前藩士が、その苗木を敷地内に植えました。その人こそ、りんご栽培のパイオニアとして七二歳までの人生を、りんごをはじめとする農産物一筋に生きていく菊池楯衛(きくちたてえ)です。この物語は、この菊池から始まる青森県りんご栽培の壮大な遺産です。
こんな歴史があったなんて知っていたら、りんごを買う時、もっと真剣勝負だったかもしれない。そう思っていただけたら嬉しいです。そして、この本を読み終えた頃には、りんごを食べずには、いられなくなるでしょう。あなたにとって「単なる果物」だったりんごが、「生きた歴史遺産」であることに、気づいてしまったからです。
菊池楯衛を筆頭に始まるりんご栽培の歴史ですが、彼一人が英雄なわけではありません。これからお話をしていく、青森をりんご王国にした立役者たちを、ご紹介しましょう。
弘前藩一二代藩主である津軽承昭(つぐあきら)、青森みちのく銀行、株式会社カクヒロなどをつくった弘前藩家老大道寺繁禎(しげよし)、そしてもう一人の家老であり、石田三成の子孫である杉山成知(なりとも)、りんご栽培というスタートアップが実現できたのは、代表してこの四人の存在が大きいと思っています。
そして日本人として、最も早くりんごを作って食べていた、と言われる松平春嶽、七飯に巨大な果樹園をつくったドイツ人ガルトネル、菊池楯衛に接木法を伝授したアメリカ人技師ルイス・ベーマー。彼らの存在無くして、日本にりんごは根付かなかったかもしれません。
後に青山学院院長となる本多庸一が、横浜から弘前へ連れて帰ったジョン・イングは、当時、東北で唯一、外国人宣教師を雇用していた東奥義塾で教鞭をとり、生徒たちにりんごを食べさせました。その東奥義塾や東奥日報を創設した菊池九郎。そして弟の菊池三郎は、つがる市柏に現存する、日本最古のりんごの木を譲った人だと言われています。
大道寺と一緒に酪農会社を運営した、笹森儀助(ささもりぎすけ)は、のちに国防を憂いて日本中を探検、『南嶋探検』『千島探検』などの著書を残しました。この本は現場を見て書いた国防書として、柳田國男にも影響を与え、更に、明治天皇も読んだと言われています。
この笹森に、人格形成において、大きな影響を受けた外崎嘉七(とのさきかしち)は、東北各地へ指導に出向き、りんごの神様と呼ばれる指導者になっていきます。
その外崎が盟友としたのは、のちに北海道大学学長となっていく島義鄰(しま よしちか)と、晩年、大連に渡り大陸に津軽式りんご栽培を伝授する楠美冬次郎(くすみとうじろう)(*)、そして農家の地位向上に尽力し、組合という概念を実践した豪農相馬貞一(そうまていいち)、この流れは続編で紹介する木村甚彌(きむらじんや)へと繋がっていきます。
(*)楠美冬次郎の読み方に関しましては『青森県人名大辞典』を引用し「くすみとうじろう」としました。
りんごは冷害に強く、高値で取引されるため、多くの資産家が投資対象としました。
黒石の貴族院議員で、名勝金平成園施主の加藤宇兵衛(かとううへい)、りんご協会を創った、澁川傅次郎(しぶかわでんじろう)の祖父・澁川伝蔵(しぶかわでんぞう)、本多庸一に導かれ、藤崎教会をつくった佐藤勝三郎、りんご農家の副業として、馬鈴薯作りを推奨した藤本徹郎らについても特筆しました。
このように、今回の津軽地方前編の登場人物を、列挙してみましたが、この本では彼らが織りなす歴史を、できるだけ時系列で書いてみました。マニアックな地名が出て来ますが、できるだけインターネットで検索しながら、読んで頂くと印象に残りやすいかと思います。
また、現地にて「とことん!りんごの歴史ツアー」を開催中です(令和七年現在)。
是非、ご参加ください。https://matatabi-club.com/tour/3040.html
続編は明治後期から昭和五〇年代の、ふじりんごが台頭してくる頃までを書き上げる予定です。更に、青森県南部地方のりんご栽培の歴史も、とても興味深いので只今調査中です。いずれしっかりと書き上げたいと思いますので、もう少しお待ちください。
私の手元には『りんご百年史』という本があります。厚さ七センチメートルの大きな本です。これは今から五〇年前、青森りんご百年記念事業会が発刊したもので、とても貴重な本です。普通の図書館では、館外持ち出しできないので、借りて来ることができません。
毎朝三時起床の私は、朝方調べものに集中したい一心で、インターネットでこれを見つけて買いました。書き込みしたりインデックスを張り付けたり、一日に何度も開くのできっとそのうちボロボロになるでしょう。この世を去る時はくたくたにして、頭に詰め込んでいこうと思っています。
りんご栽培に関する細かい情報はこの本から確認をとっていますし、読み物としても飽きる事がありません。永遠に読んでいられる一冊です。この本に書いてあることをわかりやすく伝える役目が自分だと考えております。
歴史とは、過去に生きた先人たちが、繰り返してきた選択の結果です。何を選び何を捨てて来たのか、どうしてそう決めたのか、何を願っていたのか。これら一つ一つの歴史は私たちの体の一部となっているのです。ですから、歴史には共感できる場面、自分事と感じる場面があるのかもしれません。この本の中にもそんな奇跡が入っていたら嬉しいです。
あっぷるぱい(牌)
りんごの歴史を伝承していく為の各種ツール・サービスを開発しています。
遊び方解説書(日本語)はこちらから印刷できます
遊び方解説書(英語)はこちらから印刷できます
書籍
イベント
イベントによりりんごの歴史がより身近なるようご案内させていただきます。
購入
あっぷるぱい(牌)販売店
- 青森市 成田本店
- 弘前市 りんご公園
- ヒロロ2階 TSUTAYA
- 平川市観光協会(さるか荘隣)
- 青森まごころふるさと便(web)
紙本販売店
- 青森市 成田本店
- 弘前市 まわりみち文庫
- 弘前市 りんご公園
- ヒロロ2階 TSUTAYA
- 黒石市 松の湯交流館
- 平川市 田本商店







表-scaled.jpg)
裏-scaled.jpg)
