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りんごの歴史を伝承していく為の各種ツール・サービスを開発しています。

あっぷるぱい(牌)
あっぷるぱい(牌)
あっぷるぱい(牌)

アップルブランデーの試験蒸留

あっぷるぱい(牌)

りんご食べくらべプロジェクト

第2回あっぷるぱい(牌)大会2024年7月7日

遊び方解説書(日本語)はこちらから印刷できます

遊び方解説書(英語)はこちらから印刷できます

EVENTS

イベントによりりんごの歴史がより身近なるようご案内させていただきます。

NEWS

PRODUCTSやりんごの歴史など様々なコンテンツの発信をします。

外崎嘉七

外崎嘉七

海外からも青森県のりんごは大人気。 誇らしい限りですが、 生産量日本一になるには理由がありました。 青森県にりんごの苗木が 初めてやって来た明治8年から 約20年後、りんご栽培は 病害虫との闘いが始まっていました。 実の中に入り込んだり、 木そのものを枯らしたり 当時は、病害虫のついた木は切り倒し 焼却するしか方法がなかったそうです。 明治30年の1年間だけで、 約9万本が伐採されています。 所が、にも関わらず、大豊作であったため 市場でさばききれず、価格が暴落しました。 更に明治33年には花腐れ病と呼ばれた モニリア病が広がり、...

楠美冬次郎

楠美冬次郎

りんご歴史研究所の木浪です。 昔、中国大連市に渡りりんご栽培を指導した 元津軽藩士がいます、 大連に渡り12年後には その地で家族に見守られて一生を終えますが、 その生涯は波乱に満ちつつもりんご一筋でした。 楠美冬次郎(1863~1934) 菊池楯衛が北海道七飯の出張から戻り ベーマーから習ったことを直接伝えた 化育社のメンバーの一人。 菊池とは17歳ほど離れていますが 楠美のまじめな人柄でその信頼は厚く、 りんごの品種カタログ作成事業を任せました。 元津軽藩士でしたが、 りんご栽培で生きて行く決意をした楠美は...

鳥害

鳥害

りんご歴史研究所の木浪です。りんごは漢字で林檎と書きますが、この禽は鳥の事です。 鳥が集まる木と書いて「林檎(りんご)」といいます。そのくらい鳥もりんごが大好き。 農家さんにとって鳥が厄介なのは完食しない事。たっっっくさんのりんごをちょっっっとずつ食べるから困るのです。 でも、鳥が食べるのは熟して美味しいからでも商品にならないどうしましょう。鳥が残したところを食べながら考えます。イメージはできててジンにできないかなって思ってる。 甘くないりんごはブランデーにしたいけど、甘いりんごはGINにしたい。...

りんごの食べ比べで思うこと

りんごの食べ比べで思うこと

りんご歴史研究所の木浪です。先日、3種類のりんごをみんなで食べ比べしました。品種を確認しながら自分の好みを言い合うと、皆それぞれタイプが分かれる。酸っぱいりんごが好きな人やシャキシャキしていないとダメな人もいる。食べ比べはみんなでやると楽しい。 1903(明治36)年三月、明治政府が主催する、第五回内国勧業博覧会に於いて青森県はりんごの出品数、入賞点数ともに他道府県を圧倒し、りんごの直売所も好評で、四月一日付、東奥日報は「皮むきりんごの販売」という見出しで次のように報じています。...

Next AOMORIに参加して感じたこと

Next AOMORIに参加して感じたこと

去年、Next AOMORIに参加して https://next-aomori.com/ 私が見つけた青森県の課題は「りんご産業の継続発展」でした。りんご農家さんが減少しない環境とは何か取りこぼしている副産物はないかという視点から出した結論が世界市場に向けたアップルブランデーを作るという事でした。加工用りんごの栽培を増やし農家さんの負担を減らす。価値あるアップルブランデーを世界市場で販売する事で継続的に高価格帯の加工品を作っていく。このプロジェクトが10月からスタートします。...

公式Facebook

STORY

りんごを青森県に根づかせた先人のストーリー

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新たな時代の幕開け

大政奉還により新しい時代の幕開けとなった明治時代

幕府および藩の解体により、特にこれまで武士として生きてきた人々には大きな影響を与えました。そんな激動の時代の中、新たな産業の創出を夢見て青森県にりんごが持ち込まれました。

しかし、豪雪地帯青森県はりんごの生産に適した土地ではなかったのです。

時代の移り変わりはいつも突然訪れます。

明治時代に入り、特に今まで武士として生きてきた人達は明日からいったいどう生きていけばいいんだ!と悩みもがいてました。

そんな中、耳にした『りんご栽培』という新たな産業。明日への希望を『りんご』に託して、魂である刀を剪定鋸、鋏に持ち換え先人たちの挑戦がスタートしました。

先人たちの挑戦

先駆者

江戸時代末期に津軽藩(現在の青森県津軽地方)の武士家系に生まれた『菊池楯衛(きくちたてえ)』は、新たな産業『りんご栽培』の話を聞き衝撃を受けました。

これが自分の生きる道だと思い立った菊池は北海道に渡り、アメリカ人の農業技師より果樹栽培の技術を学び、自身でもりんご栽培の手法を研究しました。

菊池は弘前に戻り化育社という組織を設立。農業を志す仲間達に自身が確立したりんご栽培の手法を広めました。

この菊池の活動が現在の青森県のりんご産業の礎になったと言われています。

りんご栽培を青森県に根づかせた先人達。

今までの常識が刻一刻と塗り替えられていく現在の世の中、先人達の挑戦は私たちに勇気と希望を与えてくれます。

そんな先人達の挑戦を後世に伝え、これから挑戦していく人達を応援したいとの思いから『りんご歴史研究所』は設立されました。

私たちの活動を通してこれから青森県で未来のために挑戦する人々が一人でも増えていくことを心から願っています。

青森の挑戦を応援