執筆者 ringo-history | 5月 21, 2024 | お知らせ
りんご栽培の歴史を探るうちに 出会ってしまった大物、 大道寺繁禎(だいどうじしげよし) 津軽藩最後の家老として 幕末の混乱を良く治めた人でした。 当時、家老屋敷は現弘前中央高等学校の グランドのあたりで、道路を渡ると、 東大門から入りまっすぐお城に上がれる 位置にありました。 大道寺家の先祖は紀州にあり、 津軽二代藩主信枚が大阪冬の陣に出兵した際、 スカウトし津軽藩で召し抱える事となった家柄です。 明治維新前後の混乱をしっかりと受け止め、 菊池楯衛率いるりんご栽培士族たちとは反対に、 りんごの苗木を明治政府から受取りはしたけれど...
執筆者 ringo-history | 5月 15, 2024 | お知らせ
https://www.instagram.com/p/Cva9-Z9SYHe/?utm_source=ig_web_copy_link&igshid=MzRlODBiNWFlZA== わたくし、なんと! その時少し触れた 三本足梯子の現物を発見したんです!!! うそです。 郷土史家の小笠原豊さんに 教えて頂きました。 場所は、平川市文化センター2階郷土資料館です。 https://www.city.hirakawa.lg.jp/bunka/bunka/bunkacenter.html...
執筆者 ringo-history | 5月 15, 2024 | お知らせ
りんご歴史研究所の木浪です。 今日はりんご梯子(ハシゴ)の歴史をご案内します。 弘前市和徳町にあります木村木工所さん。 現社長さんの木村雄治さんにお話を聞きました。 大正5年、 雄治さんの曽祖父の貞次郎さんが 4本足のりんご梯子を発明したそうです。 それまでの梯子は3本足だったので 上ったら下りるの繰り返しでしたが、 片方から上がって反対側に下りられる梯子があればいいのに という農家さんの要望を形にしたのだそうです。 材質もそれまでの松や杉から青森ヒバに変えました。 緻密で強く、水をはじくので、 何十年も持つのだそうです。...
執筆者 ringo-history | 5月 15, 2024 | お知らせ
海外からも青森県のりんごは大人気。 誇らしい限りですが、 生産量日本一になるには理由がありました。 青森県にりんごの苗木が 初めてやって来た明治8年から 約20年後、りんご栽培は 病害虫との闘いが始まっていました。 実の中に入り込んだり、 木そのものを枯らしたり 当時は、病害虫のついた木は切り倒し 焼却するしか方法がなかったそうです。 明治30年の1年間だけで、 約9万本が伐採されています。 所が、にも関わらず、大豊作であったため 市場でさばききれず、価格が暴落しました。 更に明治33年には花腐れ病と呼ばれた モニリア病が広がり、...
執筆者 ringo-history | 5月 15, 2024 | お知らせ
りんご歴史研究所の木浪です。 昔、中国大連市に渡りりんご栽培を指導した 元津軽藩士がいます、 大連に渡り12年後には その地で家族に見守られて一生を終えますが、 その生涯は波乱に満ちつつもりんご一筋でした。 楠美冬次郎(1863~1934) 菊池楯衛が北海道七飯の出張から戻り ベーマーから習ったことを直接伝えた 化育社のメンバーの一人。 菊池とは17歳ほど離れていますが 楠美のまじめな人柄でその信頼は厚く、 りんごの品種カタログ作成事業を任せました。 元津軽藩士でしたが、 りんご栽培で生きて行く決意をした楠美は...