大道寺繫禎

大道寺繫禎

りんご栽培の歴史を探るうちに 出会ってしまった大物、 大道寺繁禎(だいどうじしげよし) 津軽藩最後の家老として 幕末の混乱を良く治めた人でした。 当時、家老屋敷は現弘前中央高等学校の グランドのあたりで、道路を渡ると、 東大門から入りまっすぐお城に上がれる 位置にありました。 大道寺家の先祖は紀州にあり、 津軽二代藩主信枚が大阪冬の陣に出兵した際、 スカウトし津軽藩で召し抱える事となった家柄です。 明治維新前後の混乱をしっかりと受け止め、 菊池楯衛率いるりんご栽培士族たちとは反対に、 りんごの苗木を明治政府から受取りはしたけれど...
三本足のはしご

三本足のはしご

https://www.instagram.com/p/Cva9-Z9SYHe/?utm_source=ig_web_copy_link&igshid=MzRlODBiNWFlZA== わたくし、なんと! その時少し触れた 三本足梯子の現物を発見したんです!!! うそです。 郷土史家の小笠原豊さんに 教えて頂きました。 場所は、平川市文化センター2階郷土資料館です。 https://www.city.hirakawa.lg.jp/bunka/bunka/bunkacenter.html...
りんご梯子

りんご梯子

りんご歴史研究所の木浪です。 今日はりんご梯子(ハシゴ)の歴史をご案内します。 弘前市和徳町にあります木村木工所さん。 現社長さんの木村雄治さんにお話を聞きました。 大正5年、 雄治さんの曽祖父の貞次郎さんが 4本足のりんご梯子を発明したそうです。 それまでの梯子は3本足だったので 上ったら下りるの繰り返しでしたが、 片方から上がって反対側に下りられる梯子があればいいのに という農家さんの要望を形にしたのだそうです。 材質もそれまでの松や杉から青森ヒバに変えました。 緻密で強く、水をはじくので、 何十年も持つのだそうです。...
外崎嘉七

外崎嘉七

海外からも青森県のりんごは大人気。 誇らしい限りですが、 生産量日本一になるには理由がありました。 青森県にりんごの苗木が 初めてやって来た明治8年から 約20年後、りんご栽培は 病害虫との闘いが始まっていました。 実の中に入り込んだり、 木そのものを枯らしたり 当時は、病害虫のついた木は切り倒し 焼却するしか方法がなかったそうです。 明治30年の1年間だけで、 約9万本が伐採されています。 所が、にも関わらず、大豊作であったため 市場でさばききれず、価格が暴落しました。 更に明治33年には花腐れ病と呼ばれた モニリア病が広がり、...
楠美冬次郎

楠美冬次郎

りんご歴史研究所の木浪です。 昔、中国大連市に渡りりんご栽培を指導した 元津軽藩士がいます、 大連に渡り12年後には その地で家族に見守られて一生を終えますが、 その生涯は波乱に満ちつつもりんご一筋でした。 楠美冬次郎(1863~1934) 菊池楯衛が北海道七飯の出張から戻り ベーマーから習ったことを直接伝えた 化育社のメンバーの一人。 菊池とは17歳ほど離れていますが 楠美のまじめな人柄でその信頼は厚く、 りんごの品種カタログ作成事業を任せました。 元津軽藩士でしたが、 りんご栽培で生きて行く決意をした楠美は...