執筆者 ringo-history | 5月 21, 2024 | お知らせ
りんご栽培の歴史を探るうちに 出会ってしまった大物、 大道寺繁禎(だいどうじしげよし) 津軽藩最後の家老として 幕末の混乱を良く治めた人でした。 当時、家老屋敷は現弘前中央高等学校の グランドのあたりで、道路を渡ると、 東大門から入りまっすぐお城に上がれる 位置にありました。 大道寺家の先祖は紀州にあり、 津軽二代藩主信枚が大阪冬の陣に出兵した際、 スカウトし津軽藩で召し抱える事となった家柄です。 明治維新前後の混乱をしっかりと受け止め、 菊池楯衛率いるりんご栽培士族たちとは反対に、 りんごの苗木を明治政府から受取りはしたけれど...