りんご梯子

りんご梯子

りんご歴史研究所の木浪です。 今日はりんご梯子(ハシゴ)の歴史をご案内します。 弘前市和徳町にあります木村木工所さん。 現社長さんの木村雄治さんにお話を聞きました。 大正5年、 雄治さんの曽祖父の貞次郎さんが 4本足のりんご梯子を発明したそうです。 それまでの梯子は3本足だったので 上ったら下りるの繰り返しでしたが、 片方から上がって反対側に下りられる梯子があればいいのに という農家さんの要望を形にしたのだそうです。 材質もそれまでの松や杉から青森ヒバに変えました。 緻密で強く、水をはじくので、 何十年も持つのだそうです。...
外崎嘉七

外崎嘉七

海外からも青森県のりんごは大人気。 誇らしい限りですが、 生産量日本一になるには理由がありました。 青森県にりんごの苗木が 初めてやって来た明治8年から 約20年後、りんご栽培は 病害虫との闘いが始まっていました。 実の中に入り込んだり、 木そのものを枯らしたり 当時は、病害虫のついた木は切り倒し 焼却するしか方法がなかったそうです。 明治30年の1年間だけで、 約9万本が伐採されています。 所が、にも関わらず、大豊作であったため 市場でさばききれず、価格が暴落しました。 更に明治33年には花腐れ病と呼ばれた モニリア病が広がり、...
楠美冬次郎

楠美冬次郎

りんご歴史研究所の木浪です。 昔、中国大連市に渡りりんご栽培を指導した 元津軽藩士がいます、 大連に渡り12年後には その地で家族に見守られて一生を終えますが、 その生涯は波乱に満ちつつもりんご一筋でした。 楠美冬次郎(1863~1934) 菊池楯衛が北海道七飯の出張から戻り ベーマーから習ったことを直接伝えた 化育社のメンバーの一人。 菊池とは17歳ほど離れていますが 楠美のまじめな人柄でその信頼は厚く、 りんごの品種カタログ作成事業を任せました。 元津軽藩士でしたが、 りんご栽培で生きて行く決意をした楠美は...
クラウドファンディング(CAMPFIRE)で、あっぷるぱい(牌)制作にご支援いただいた皆様

クラウドファンディング(CAMPFIRE)で、あっぷるぱい(牌)制作にご支援いただいた皆様

クラウドファンディングの結果について、詳しくはこちら クラウドファンディングサイト(CAMPFIRE)において、あっぷるぱい(牌)制作にご支援いただいた皆様、本当にありがとうござました。許可をいただいた方のみお名前を掲載させていただきます。(順不同) 有限会社中村建設 中村 陽平 様 三上 拓也 様 appcycle株式会社 藤巻 圭 様 ホイドーズ 様 BAR無路良 山田 哲也 様 やまと印刷株式会社 様 GARDEN大きなくりの木の下で NON&TON 様 原田 祐治 様 カサイーサン 様 植松 宏真 様 佐藤 直樹 様...
鳥害

鳥害

りんご歴史研究所の木浪です。りんごは漢字で林檎と書きますが、この禽は鳥の事です。 鳥が集まる木と書いて「林檎(りんご)」といいます。そのくらい鳥もりんごが大好き。 農家さんにとって鳥が厄介なのは完食しない事。たっっっくさんのりんごをちょっっっとずつ食べるから困るのです。 でも、鳥が食べるのは熟して美味しいからでも商品にならないどうしましょう。鳥が残したところを食べながら考えます。イメージはできててジンにできないかなって思ってる。 甘くないりんごはブランデーにしたいけど、甘いりんごはGINにしたい。...