紙芝居を製作中

りんご栽培の歴史を子供たちに話す時やっぱり紙芝居かなっと思い製作中です。原稿がことのほか上手くまとまったのでこちらに投稿します。紙芝居で子供たちにお話しするときはもっと簡単な言葉を使いますがこれが難しそう!練習します。

「青森にりんごがやってきた!菊池楯衛の物語」

1, 今から148年前青森県に初めて西洋リンゴがや   

  って来ました。

  それまでは和りんごという小さくてあまり甘くな          

  いりんごしかありませんでした。

2, 当時は、長く続いた江戸時代から明治時代になっ                     

  て間もないころで

  お侍だった津軽藩士達は仕事がなく将来の事を

  心配していました。

3, そこで、明治政府は日本中の侍たちに

  いろいろな果物の苗木を配ったりしました。

  津軽藩士には東北青森県の気候に合っているだろ      

  うという事でリンゴの苗木が与えられたのです。

  果物を育てて売って生活できるようにとの事

  でした。

4, そのリンゴにいち早く興味を持った人が

   いました。

   菊池楯衛と言います。

   菊池も元津軽藩士でしたが子供のころから

   植物を育てるのがとても好きでした。

   菊池は時代を受け入れリンゴ栽培を

   やっていこうと決心します。

   当時29歳でした。

5、 この時県庁で働いていた菊池はリンゴの苗木を

   仕分けする部署に勤務していました。

   そして明治10年9月、

   北海道七飯にある果樹園への出張の募集があり

   菊池は自分から志願します。 

   七飯にはドイツ人が作った大規模果樹園が

   あり、

   菊池の知りたい事が詰まっている所でした。

5, 七飯で一生懸命働きながら研究を重ねている時、

   幸運にもベーマーというアメリカ人に

   会う事が出来ました。

   ベーマーは北海道開拓の為に

   日本政府がアメリカから呼び寄せた農業技師で、

   菊池は直接ベーマーから剪定と接木を

   教わりました。

6, 七飯での仕事が終わり弘前に帰った菊池は

   仲間を集め、

   勉強してきたことを伝えました。

   このベーマーから教わった技術を

   直接津軽の地に広めたことが、

   青森県のリンゴ産業が大発展した

   理由の一つだと言われています。

7, 菊池はりんご栽培を広めつつ、

   昔仕えた津軽藩の弘前城がどんどん

   荒れ果てている事に

   心を痛めていました。

   そこで弘前城内に桜を植え始めたのでした。

   その数1000本。

   それが弘前城が桜の名所になる

   きっかけとなったのです。

8, りんごが青森県にやってきて、

   あと2年で150年になります。

   りんごと桜の二大産業を作った

   菊池楯衛の功績って凄いですよね。

   こちらの写真が明治15年に

   菊池が寄贈した桜の木と菊池楯衛の写真です。

   今でも毎年見事な桜を咲かせています。 

   是非弘前にいらした折はご覧になって下さい。

9, おしまい

りんごが青森県にやってきて、あと2年で150年になります。りんごと桜の二大産業を作った菊池楯衛の功績って凄いですよね。

参考引用文献 
斎藤康司著 「りんごを拓いた人々」筑波書房 1996年
弘前市ホームページ
監修
小笠原豊 
「平川市を築いた人々」平川ふるさと倶楽部
平川市田本商店にて好評発売中